江戸時代、文献上で1605年(慶長10年)に海外から徳川家康に献上された時計が壊れ、家康は京都の市中に修理できる者を探すため御布令を出したところ、京都の刀鍛冶職人、津田助左御門が名乗り出て修理に取りかかった。
津田助左御門は修理と共にもう1台をコピーとして作った時計が、日本で初めて作られた時計といわれており、その後、尾張家のお抱え時計師として多くの時計を作り明治6年の改暦まで作られた時計が「和時計」といわれ、名古屋地区を中心にで時計製造が発展し国内に広がっていく基礎になりました。
※写真は江戸中期の二丁テンプの櫓時計
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